アルコール

るいちーログ

アルコール依存症、アスペルガー症候群、うつ病です

依存症病棟に入院中です

お久しぶりです、アル中です。

私は去年の6月にアル中と診断されましたが、それでも飲酒がやめられず...7月、8月の二ヶ月入院したものの退院後すぐに再飲酒。今度は10月、11月と二か月入院しました。そうして12月はじめに退院してから頑張って断酒し続けていた私ですが、実はまた失敗してしまいました。

もともと私は発達障害という障害を持っており、十数年前から作業所に通いながら障害者雇用での就職を目指していました(作業所って、そこでずっと勤めるタイプと、そこを利用しながら一般企業への就労を目指すタイプがあるそうです。私は後者を利用してました)。そのため12月に退院した後、また作業所への通所を再開していました。

そうして年も明け、今年も頑張って断酒していました。お医者さんからも「意志を強く持って

!」と励ましてもらいながら、お酒の自助グループにも参加していました。

しかし今年の2月、作業所の職員さんと面談をしたとき「ここにもアルコールで悩み、断酒した利用者さんが居る。その人は、断酒しはじめてから、(俺って頑張ったな)と思えるまで、2年かかったと言っていた。能村さんも、断酒をはじめてから(もう私は大丈夫)と思えるまで、そのぐらいはかかると思ってほしい。その間、どん底の日々を送ると思う」という事を言われてしまいました。私はそのとき(こんなに頑張っているのに、まだ頑張らないといけないんだ)と、果てしない絶望を感じました。

次の日私は通所せず、朝からコンビニで買った酒を飲んでいました。(もうどうでもいいや)と思ったからです。そして作業所には「具合悪いから今日は行けません」、自宅の母には「今日は一人になりたいから帰らない」と連絡をし、その日は一日中、ビジネスホテルに泊まって酒を飲みつづけました。具合は悪かったですが一瞬開放感を感じました。

その日から私は、起きている間はずっと酒を飲むようになりました。作業所に行く前にコンビニのトイレで飲酒し、到着後すぐ嘔吐、職員さんに介抱されながら自宅に帰ったりしました。そんな事が続くうち、作業所にも通えなくなり、自宅で飲みつづけるようになりました。

親に「酔っている時あんたはこんな姿なんだよ」と言われ、スマホで私が酩酊している時の動画を見せられても何とも思わず、とにかく飲んでは吐いて、吐いては飲んでの繰り返しでした。両親には毎日責められ、また両親の間でも喧嘩が起こって、家庭が混乱しました。

そんなある日母に「とにかく入院してほしい。前の病院でなく、アル中専門の病院に入院して」と言われました。正直私も限界だったので、ネットで(依存症専門病院)と検索し、口コミが良いところを選んで「じゃあここに入院する」と母に言いました。その後病床に空きが出るまで三週間ぐらい待ちました。その間も飲んでは吐きの繰り返しで、時々暴れたりしたようで、母に警察を呼ばれたりしました。けれどずっと飲んでいて、ほとんど何も覚えていません。迷惑をかけ続けていました。

そうして今年3月の初め、やっと依存症病棟の病床に空きができ、私は入院することができました。ここでは三か月間の依存症専用プログラムがあり、毎日のようにミーティングや学習会が行われています。また休みの日には外出ができ(コロナが流行ってますから、そんな遠出はできませんが)、ちょっとスーパーに買い物に行ったりできます。今まで精神科の閉鎖病棟にばかり入院していた私は(開放病棟ってこんな風なんだな)と感じました。

なんだかんだ三か月経つのは早いもので、もうすぐ退院です。実は私は、産まれてからずっと、地元に住んでいました。しかし今回札幌の病院に入院したことを機に、この街で生活しようと決めました。理由は3つあります。ひとつは、退院してもこの病院に通院したいから。ふたつめは、地元には少ないがこの街にはたくさんある(自助グループ)に通いたいから。そして3つめは、障害者を雇ってくれる企業が地元よりたくさんあるからです。この入院中、不動産に行って物件をまわり、住まいももう決めました。退院まであと二週間、もうすぐです。