アルコール

るいちーログ

アルコール依存症、アスペルガー症候群、うつ病です

デイケアに試験通所してきました

今日は現在入院している病院の系列の、デイケアに試験通所してきました。昨日に続いてミーティングをしてきましたが、テーマに沿って話をしたり、他の人の話を聞いたりして、改めて(断酒しながら日常生活を送るのって大変そうだな)と思いました。特に既婚だったり、子どもがいる人は、家族にも気を遣わないといけないし、独り身の私でも想像するだけで大変さが分かってしまうぐらい、大変そうに感じました。

そのあとは創作活動をしましたが、なんだかエロいことを考えたり、飲酒することを考えたり、頬の毛穴のたるみのことを考えたり、次の就職先で怒鳴られることをイメージしていたりしていて、いまいち集中できませんでした。毎日生きていくのって、単調でつらいし、かといって起伏がありすぎてもつらいし、大変ですね。自分はちっぽけですし、今日も飲酒しませんようにと何か大きいものにお願いするしかないような気がします。今日も昨日みたいに、飲酒しないで過ごせますようにという気持ちになります。

ミーティングに参加しました

今日は病院内でやっているミーティングに参加しました。「怒りの感情にどう対応するか」というようなテーマでした。ミーティングの終盤で主催のスタッフに感想を求められ「私の場合は自分が怒るより、他人に怒られることのほうがずっと多いのでとにかく働いてご飯食べて寝て、また働いての繰り返しです。社会人ってその繰り返しだと思うので、年金生活に入るまで、貯金を貯めて、謙虚に生きていかないといけない、すごすごと生きていかないといけないので...」と話したら、隣に座っている人に爆笑されました!「能村さんに癒されました」と言って笑っていたので、よかったです、と返したのですが正しい返答だったのかはわかりません。周りの人も笑ってましたが、内心気に触っていたとしたら悪かったな、とミーティングが終わった直後は思いましたが、今はみんな大して気にしていないだろうと思っています。だって私自身、もう数時間前のミーティングで誰が何を言ったかを、ほんのディテールぐらいしか覚えていないからです。退院まであと少し、一日一日、飲まないよう神様にお願いして、謙虚にお願いして生きていけたらいいんですけどね。

依存症病棟に入院中です

お久しぶりです、アル中です。

私は去年の6月にアル中と診断されましたが、それでも飲酒がやめられず...7月、8月の二ヶ月入院したものの退院後すぐに再飲酒。今度は10月、11月と二か月入院しました。そうして12月はじめに退院してから頑張って断酒し続けていた私ですが、実はまた失敗してしまいました。

もともと私は発達障害という障害を持っており、十数年前から作業所に通いながら障害者雇用での就職を目指していました(作業所って、そこでずっと勤めるタイプと、そこを利用しながら一般企業への就労を目指すタイプがあるそうです。私は後者を利用してました)。そのため12月に退院した後、また作業所への通所を再開していました。

そうして年も明け、今年も頑張って断酒していました。お医者さんからも「意志を強く持って

!」と励ましてもらいながら、お酒の自助グループにも参加していました。

しかし今年の2月、作業所の職員さんと面談をしたとき「ここにもアルコールで悩み、断酒した利用者さんが居る。その人は、断酒しはじめてから、(俺って頑張ったな)と思えるまで、2年かかったと言っていた。能村さんも、断酒をはじめてから(もう私は大丈夫)と思えるまで、そのぐらいはかかると思ってほしい。その間、どん底の日々を送ると思う」という事を言われてしまいました。私はそのとき(こんなに頑張っているのに、まだ頑張らないといけないんだ)と、果てしない絶望を感じました。

次の日私は通所せず、朝からコンビニで買った酒を飲んでいました。(もうどうでもいいや)と思ったからです。そして作業所には「具合悪いから今日は行けません」、自宅の母には「今日は一人になりたいから帰らない」と連絡をし、その日は一日中、ビジネスホテルに泊まって酒を飲みつづけました。具合は悪かったですが一瞬開放感を感じました。

その日から私は、起きている間はずっと酒を飲むようになりました。作業所に行く前にコンビニのトイレで飲酒し、到着後すぐ嘔吐、職員さんに介抱されながら自宅に帰ったりしました。そんな事が続くうち、作業所にも通えなくなり、自宅で飲みつづけるようになりました。

親に「酔っている時あんたはこんな姿なんだよ」と言われ、スマホで私が酩酊している時の動画を見せられても何とも思わず、とにかく飲んでは吐いて、吐いては飲んでの繰り返しでした。両親には毎日責められ、また両親の間でも喧嘩が起こって、家庭が混乱しました。

そんなある日母に「とにかく入院してほしい。前の病院でなく、アル中専門の病院に入院して」と言われました。正直私も限界だったので、ネットで(依存症専門病院)と検索し、口コミが良いところを選んで「じゃあここに入院する」と母に言いました。その後病床に空きが出るまで三週間ぐらい待ちました。その間も飲んでは吐きの繰り返しで、時々暴れたりしたようで、母に警察を呼ばれたりしました。けれどずっと飲んでいて、ほとんど何も覚えていません。迷惑をかけ続けていました。

そうして今年3月の初め、やっと依存症病棟の病床に空きができ、私は入院することができました。ここでは三か月間の依存症専用プログラムがあり、毎日のようにミーティングや学習会が行われています。また休みの日には外出ができ(コロナが流行ってますから、そんな遠出はできませんが)、ちょっとスーパーに買い物に行ったりできます。今まで精神科の閉鎖病棟にばかり入院していた私は(開放病棟ってこんな風なんだな)と感じました。

なんだかんだ三か月経つのは早いもので、もうすぐ退院です。実は私は、産まれてからずっと、地元に住んでいました。しかし今回札幌の病院に入院したことを機に、この街で生活しようと決めました。理由は3つあります。ひとつは、退院してもこの病院に通院したいから。ふたつめは、地元には少ないがこの街にはたくさんある(自助グループ)に通いたいから。そして3つめは、障害者を雇ってくれる企業が地元よりたくさんあるからです。この入院中、不動産に行って物件をまわり、住まいももう決めました。退院まであと二週間、もうすぐです。

警察を呼ばれました

知らないうちに警察を呼ばれました!遺憾です。

私はアルコール依存症のため仕方がないのでペットボトル飲料を飲み干し、その中に9%のアルコール飲料を入れて家に戻りました。

そしたら急に警察を呼ばれて一騒動です。

もうね、これからアルコール依存症病院にかかるってのに最悪です。なにが親の気持ちを刺激したのかわかりません

作業所の職員さんが辞めてしまったことを知りました

昨日はスープカレーを作りました!

いったいどんな罵詈雑言を吐かれるのか心配でしたが、父も母も、おいしいおいしいありがとう、と言いながら食べてくれて、嬉しかったです。


今日は月曜日、作業所の稼働日です。今朝は体調と身だしなみの確認をした後、一時間ほど運動をし、その後は昼休み以外ずっと事務系の作業訓練をしていました。

午後、職員さんに、就労や今後の暮らしについて、どんな風に考えているのか、少し話を聞いてもらいました。

私は「働いたって、どうせまた一二年もしたらすぐ辞めるんだろうな、と考えると、面倒くさいと思ってしまいます」いまの率直な感想を言いました。すると職員さんが「じゃあ、就職あきらめる?」いや、就職はしないといけないと思いますけど、今は実習が決まっているだけで、その後はなにも決まっていない...先がわからなくて、働いたってうまくいくかどうかわからないし、不安なんです。と答えました。

職員さんは「働いてみないと、合う合わないはわからないよ。実際ここ(作業所のこと)だって、辞める人結構いるし...」「そうなんですか?」私はちょっとびっくりしたが、思い当たる人がいた。

「じゃあ、〇〇さんは辞めたんですか?」「うん、〇〇さん辞めちゃったの」「じゃあ、××さんは?」「××さん辞めちゃった。去年の末ぐらいに」返答聞いたとき(やっぱりそうだったんだ)と思った。

作業所の壁には、事務室で職員さんがどこの机にいるのか書かれた、座席表が貼ってある。そこには空席もあって、よく見ると、〇〇さんと××さんの名前が、修正液で隠してあった。実はずっとそれが、なんとなく気になっていたのだった。

正直その話を聞いたとき、〇〇さんは最近あまり関わりがなかったからそうでもなかったが、××さんにはよくお世話になっていたので衝撃的だった。あんなに「頑張って働いて」って励ましてくれた××さん...「ルイチさんは六回転職した事を不安がってるけど、俺なんかその二倍は転職してるよ。でも春からここに就職してから(天職見つけた)って思うんだ」って言ってた××さんが、わずか半年ほどで辞めてしまったなんて...。ショックは大きかったが、今日の職員さんはさっきの話の続きをしてくれた。

「実際に働いてみないと、合う合わないなんてわからないよ。私はこの仕事にやりがいを感じているけど、突然人間関係が悪化して、辞めちゃうかもしれないし。この前ルイチさんは(七回も転職してしまった。就職できるかな)って言ってたけど、この作業所で働いてる職員さんにも、そんな人は結構いるよ。だから、今は不安だろうけど、大丈夫。まずは、近々ある実習のことを考えよう!」そう言って励ましてくれて、有難いと思った。


帰ってから、母にその事を話したら、そうだろうね、と言った。あんな仕事、やってらんないだろうね、と言った。母は、××さんに数回会ったことがある。

「××さんって、あんたが一人暮らししてた頃、通院日に泥酔してたあんたをおぶって病院に連れてった人でしょう。また別の日にルイジ(私の弟)とお母さんとであんたの家行ったときも、あんた泥酔してて、二人ともドン引きしたんだから。あんたの信用はどんどん落ちていってるんだからね!」

何気なく「××さん辞めたんだって」と言ったら、昔の痴態を話されて、ショックだった。どっちの時も、あんまり覚えてなくて、「そうだっけ、うん...」としか言えなかった。もう全然、償いきれない!だから、はやく一人暮らしして親と距離を置かなきゃ...そう思った。酒飲んで憂さ晴らししたいと思った。

今日は作業所はお休みです

今日は作業所はお休みです。

今日も明日もお休みです。

こちら北海道は大雪が降り、みんなが雪かきをしています。わたしもやりました。

わたしはここ最近飲酒欲求が強いのか、夢で隠れてアルコールを摂取しています。

四カ月入院する前は、休みの日も朝からアルコール摂取していたわけで、今も気だるい感じで起きると(飲みてえな)と思います。もう正気ではない。

そんな調子なのに二週間に一回ある断酒会の例会を、2回もサボってしまいました。だから今月は全然行けてません。(週休は一日二日あるが)毎日作業所に通所して、家に帰って母ちゃんに小言を言われ、もう断酒会に行く体力がない...実際作業所に通い始めて、一カ月以上飲まずにいられているし、まず今のところは大丈夫かなって...思ってるんだけど、そう思ってる時が一番危ないのかなって。

「アル中ワンダーランド」っていう漫画を読んだんです。初版には付いてないのかもしれないですけど、のちに刊行された文庫版には「おまけのアル中」っていうタイトルの漫画が数ページ付いてるんです。そのなかで、主人公が、魔がさしてしまって、315日ぶりぐらいにアルコール摂取してしまうくだりがあるんです。その時主人公は、知らない間に二軒もお店をハシゴ(しかも財布を、これも知らない間にどこかに落としてしまって、“ツケ”の状態で)してしまうんです。その漫画みたいに、私も油断してるうちに、飲んでまた失敗してしまうんじゃないかって、怖いんです。自分の意思なのに、自分の意思じゃない、みたいな不思議な感覚なんです。

でも、こうやってブログに書くと、少し戒めになった気がします。今ブログを書いて、よかったです。

実はわたし、三週間後に実習に行くことになりました。まっっっっっったく、ぜっっっっっったいに就労できる可能性はありませんが(ゼロって書けばいいだろ、もう諦めろよ)、車屋で事務補助をしてきます...いってきます...はぁ😩

作業所を利用し始めてから三週間が経ちました

今日は日曜日、作業所はお休みです。週6で通所して、日曜だけ休み。でも来週からは五週連続で週休2日になります。それはよかった。

私といえば、あいかわらず精神力もなく、やりたいこともなく、だらだらと生きるばかりです。昨夜なんか母に「無職でだらだら作業所の言うことに従って...」なんて愚痴られたとき、思わず「うんこ製造マシーンだ!ぶりぶりぶり〜!」とか言っちゃったぐらいで、もうバッカきたない。身も心もボロクソです。

ただ母親の作る料理は本当にうまい。前の記事でも書きましたが、私はアルコール依存症で四カ月入院してたわけで、毎日毎日病院食。これが本当に量も少ないし冷めてるしまずい。だから昨日の夕食の時間なんか「料理ぜんぶ、めちゃくちゃおいしいね!これだけでも退院したかいがあるわ」と褒めちぎりました。もうまるで、そのうちまた酒飲んで入院するかのような口振り。まあ実際退院してから二カ月も経ってないわけで、自信とかないです。本当に崖に立っているような気持ちで、このままずっと“シャバ”にいる未来を築いていけるのか?という不安感がよくやってきます。なんとも言えないのですが、多分禁酒に失敗してまた入院になったとしても、生きてるだろうし、また立ち上がるしか方法はないんじゃないかな...けれど出来るならずっとお酒をやめて、就職してもう一回一人で暮らしたいな...はやく幸せになりたい、しかし幸せってなんだろうな...うつってなんだろう、有益ってなんだろう、無益ってなんだろう